事務局より
事務局からのお知らせ
「凱歌」の歌詞復元について
上田高校の「凱歌」は、在校生はもとより卒業生にとっても、校歌・応援歌と同様に思いの深い歌であります。グラウンドで、講堂で、全国の同窓会で、愛唱され歌い継がれてきました。
この「凱歌」は、作詞 吉村武生氏(21期)、作曲 松平忠久氏(21期)により、大正8年11月に誕生したとされております。
このたび、現在歌われている同歌の」歌詞について、40期生諸氏より「訂正」のご提案をいただきました。
この件につきまして、学校長、同窓会理事長、「古城の門」編集委員長などが協議の上、以下のような結論を得ました。その経過を報告し、同窓生各位のご理解とご協力をお願いするものです。
一.経過
平成21年2月28日、及び同年4月25日の二度にわたり、山本周三氏ほか40期生諸氏
より、同窓会報「古城の門」編集委員会にあて、「凱歌」2番4行目「夕陽が四方を覆ふとき」を
「夕陽の四方を覆ふとき」に訂正すべきである、との書簡をいただきました。
その理由は、吉村武生氏のもともとの作詞は「夕陽の...」であり、戦前・戦中まではその
ように歌われていた。戦後になり、「夕陽が...」となって現在に至っている。
文法的にも「の」が正しく、本来の歌詞に戻すべきである、というものでした。
「古城の門」編集委員会では、上田高校(上田中学・上田松尾高校)の資料を調査した
ところ、戦前の資料には行き着くことができず、戦後の資料はすべてご指摘の「夕陽が...」
となっていました。
しかし、山本氏らのご指摘は、氏らの記憶だけでなく作詞者の親族ほかの証言もあり、
上田中学に学んだ他の先輩諸氏の記憶も同様のものでした。
これらの経過を基に、学校長・同窓会理事長・「古城の門」編集委員長らが協議した結
果、作詞者の本意を尊重し、今後は「夕陽の...」と歌おうということになりました。
ただし、戦後から現在まで現行の歌詞で歌われてきた経過があり、それはそれとして
認めながら、以下のような方法でもとの歌詞へ戻る努力をしようというものであります。
一.今後作成するパンフレットなどの「凱歌」の歌詞を「夕陽の...」と印刷し歌うようにする。
以上
平成21年7月31日
上田高等学校同窓会 「古城の門」編集委員会
この「凱歌」は、作詞 吉村武生氏(21期)、作曲 松平忠久氏(21期)により、大正8年11月に誕生したとされております。
このたび、現在歌われている同歌の」歌詞について、40期生諸氏より「訂正」のご提案をいただきました。
この件につきまして、学校長、同窓会理事長、「古城の門」編集委員長などが協議の上、以下のような結論を得ました。その経過を報告し、同窓生各位のご理解とご協力をお願いするものです。
一.経過
平成21年2月28日、及び同年4月25日の二度にわたり、山本周三氏ほか40期生諸氏
より、同窓会報「古城の門」編集委員会にあて、「凱歌」2番4行目「夕陽が四方を覆ふとき」を
「夕陽の四方を覆ふとき」に訂正すべきである、との書簡をいただきました。
その理由は、吉村武生氏のもともとの作詞は「夕陽の...」であり、戦前・戦中まではその
ように歌われていた。戦後になり、「夕陽が...」となって現在に至っている。
文法的にも「の」が正しく、本来の歌詞に戻すべきである、というものでした。
「古城の門」編集委員会では、上田高校(上田中学・上田松尾高校)の資料を調査した
ところ、戦前の資料には行き着くことができず、戦後の資料はすべてご指摘の「夕陽が...」
となっていました。
しかし、山本氏らのご指摘は、氏らの記憶だけでなく作詞者の親族ほかの証言もあり、
上田中学に学んだ他の先輩諸氏の記憶も同様のものでした。
これらの経過を基に、学校長・同窓会理事長・「古城の門」編集委員長らが協議した結
果、作詞者の本意を尊重し、今後は「夕陽の...」と歌おうということになりました。
ただし、戦後から現在まで現行の歌詞で歌われてきた経過があり、それはそれとして
認めながら、以下のような方法でもとの歌詞へ戻る努力をしようというものであります。
一.今後作成するパンフレットなどの「凱歌」の歌詞を「夕陽の...」と印刷し歌うようにする。
以上
平成21年7月31日
上田高等学校同窓会 「古城の門」編集委員会