戦中に育った人。

先日ある企業の会長さんからいろんなお話をお聞きしました。
その会長さんは70歳をすぎた方ですが、とっても元気いっぱいの方で、立派な
会長室に呼ばれ、仕事の話よりも会長が経験した戦中の思い出話をたっぷり
聞かせていただきました。

話を聞くと、何より当時は「食糧難」であったことです。

一坪の土地の価格と「米」が同じような時代・・・信じられますか?
それほど食べることが一番重要な貧しい時代が、実は60年ほど前という最近
であることを意外と私達は忘れかけている。

当時は闇米をつかった食堂も密かに営業されていて、そこでのご馳走は豚など
の臓器を煮詰めたものだったそうです。それをおかずに米があるときはご飯で、
米が無いときはそうめんを米のように細かく切った偽ご飯で食していました。

食べ終わった皿にのこった豚煮の汁は、ただ洗い流すのでは無く、鍋の上でお
湯で流しいれ、人が食べて残した汁を再利用していたとか・・・これ日本の話。

また、弁当を食べている大人に群がる子供達は、弁当と交換で大人の欲しい物
を盗んでくるなどが当たり前に行なわれていたそうです。

会長さんがその他に話す会話で発見したのが、すべての価格を米の量で例える
ところ、例えば「大工の日当は米〇升分!」みたいな感じで、戦中を経験した方は
こういった表現をする方が多いと感じました。

それほど、「米」が大切だったという話です。

さて、現在ではそんな「米」を中国に輸出しようなんて時代になっている。
農業が「ブーム」なんてなっている・・・何か違う。

だから、あらためて「本当の価値」を伝えなければいけない。

戦後60年以上経つということは、失礼ですがあと何年かすれば戦争を経験した人
が誰もいなくなるということです。

私達のようなデザインをする人たちは、戦争時代から生きてきた方々の志を現代の
生活者に伝えることが一番できる仕事だと思います。そんなことを心がけながら
仕事の中で「本当の価値」を伝えていきたいですね。


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このページは、間島 賢一が2010年5月21日 08:30に書いたブログ記事です。

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